解体される家


実家の近所には、血縁以外に私を育ててくれたご近所さんがいる。
通称「きいばぁ」と「しまばぁ」。みんないつも優しかった。
厳格な祖母との対比もあって、よく遊びに行った。


そんな頃も遠い昔。私も40手前になった。
しまばぁは、いつのまにか亡くなっていた。
家族との会話の流れのなかで知った。(教えろよ、と思った。)


そして先日、きいばぁは高齢ということもあって、息子さんたちのいる宝塚へ引っ越した。


残されたのは、大工であるきいばぁのご主人が建てた家だけ。
大学で建築を学びたいと思った要因のひとつは、間違いなくきいばぁの家にある。
誰かが家を建てたというストーリーが、身近にあったことが影響していると言える。


きいばぁの家も、住み手がいなくなればただの古い空き家になる。
住み手がいなくなった家が朽ちるのは早い。
そこは潔い性格のきいばぁはさすがで、すぐに解体を決意していた。
そして、先日から解体が始まったそうだ。


母から進捗の様子として写真が送られてくる。
立派な大黒柱、年季の入った土壁。
家財道具のなくなった家は、きいばぁのように潔く、かっこいい。


少しずつ解体される家。
解体の様子がなぜか美しい。
思い出と共に、淋しさが残る。
ひとの家なのに。


諸行無常。
そう言えばそれまでだけど、確かにあの家があり、きいばぁがいて、そこに私の思い出も確かにあった。



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