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春を待つ果実、サワーポメロ

いちき串木野市の仕事の一環で、サワーポメロに関わっています。 個人的に、とても好きな果実。 存在感があって、爽やかで、そして美味しい。 この時期になると、我が家でもよく食べています。 ただ同時に、サワーポメロは「もったいない果実」でもあると思っています。 サワーポメロは「酸っぱい果実」というイメージを持たれがち。 でも、その多くは食べ方やタイミングの問題だったりします。 例えば、薄皮を剥かずに食べてしまうこと。 例えば、収穫時期ではないタイミングで出回っているものを食べてしまうこと。 例えば、十分に熟成する前に食べてしまうこと。 ちゃんと薄皮を剥き、時期を理解し、しっかり寝かせてから食べる。 そうすると、驚くほど爽やかで美味しい果実になります。 実際、熱狂的なファンも多い果実だと感じています。 そしてサワーポメロには、もうひとつの楽しみ方があります。 それは、食べるまでの時間も楽しめることです。 サワーポメロはとても大きな果実で、特徴的な色をしています。 部屋に置いておくだけで、なかなかの存在感があります。 我が家では、キッチンの見えるところに置いています。 まるで季節の花を飾るように。 しばらく置いていると、熟成が進み、だんだんと甘い香りが立ってきます。 息子がそのサワーポメロを手に取り、 「食べごろかなぁ?」と香りを嗅ぐ。 そんなやり取りも、なんだか嬉しいコミュニケーション。 いちき串木野市では、親が子どもにサワーポメロを剥いてあげる、という話もよく聞きます。 皮を剥くのが少し面倒な果実でもありますが、見方を変えれば、それだけ家族の記憶に残る果実でもあるのだと思います。 サワーポメロの収穫時期は、晩冬。 だいたい1月中旬から2月下旬ごろです。 そこからたっぷり寝かせて、春を感じ始める3月に食べる。 まさに春を待つ果実だと思います。 この一連のストーリーが、もっと伝わってほしい。 いつもそう思っています。 サワーポメロの木が植えられてから、もう50年以上が経つそうです。 それでもまだ、認知度や楽しみ方は十分に伝わっているとは言えません。 庭木で採れることもあり、「もらう果実」というイメージも強いかもしれません。 ですが、農家さんが本気で作るサワーポメロは、やはり違います。 適切な時期に、適切な食べ方で、きちんと価値が伝わる。 そんな認識のもとで選ばれ、食べられる果...

共感の顔をしたカットイン

先日、とある方へのヒアリングの場に参加しました。 私以外にも数名がいて、初めてお会いする方もいました。 ヒアリングが始まり、少しずつ場の空気や会話の流れが見えてきます。 その中で、少しモヤモヤする出来事が・・・ こちらが質問を投げかける。 それに対して、ヒアリング対象の方が丁寧に答えてくださる。 話を聞いていると、「もう少し深く聞けそうだな」という瞬間が・・・ そんな時に、別の方がカットインしてくるのです。 話に対して共感を示しながら、 「わかります」「そうですよね」と言いながら、 その流れで自分の情報や経験を挟み込んでくる。 共感しているのだから、悪いことではないはず。 むしろ場を盛り上げようとしているのかもしれません。 ただ、そのたびに、 聴きたかった話の筋が少しずつ逸れていきます。 そしてまた質問。 そしてまたカットイン。 その繰り返しでした。 「カットインしないでください」と言うのも野暮な話。 場としては成立していましたし、決して悪い雰囲気ではありませんでした。 ただ、終わった後に思ったのです。 「もっと聞けたはずだったな」と。 あの瞬間、もう少し軌道修正できたかもしれない。 そう考えると、少し反省も残りました。 ヒアリングが終わった後、この出来事についてAIと対話してみました。 そこで出てきた言葉が「自己投影型共感」です。 相手に共感しているようでいて、 実はその共感をきっかけに自分の話へと接続していく。 もしかすると、その方は認められたかったのかもしれません。 承認欲求の一つの表れだったのかな、とも思いました。 共感自体はとても大切なものです。 けれど、場によっては「聴くこと」に徹することのほうが大事なこともあります。 今回の経験を通して、 自分自身も場の流れをもう少し丁寧に整えられるようになりたいと思いました。 次は、もう少し良い時間にできるように。

一字ずつ、世界を読んでいく

  最近、息子がひらがなを覚え始めました。 まだ音と文字が一致しているわけではなく、 見たことはあるけれど、すぐには読めない。 そんな段階です。 先日、保育園からクイズが載ったチラシを持って帰ってきました。 読んで欲しいと頼まれたのですが、「自分で読んでみな」と促してみました。 妻が、ひらがなを覚えるおもちゃを使ってみたらどうかと息子に提案しました。 ボタンを押すと、文字の音を読み上げてくれるおもちゃです。 息子はそのおもちゃとチラシを睨めっこしながら、 一字一字、音を確かめながら読み始めました。 「み」 「ど」 「り」 「の」 「く」 「だ」 「も」 「の」 そんなふうに、ゆっくり、確実に。 時間はかかりましたが、 少しずつ言葉がつながり、文章になり、 やがてクイズの意味が見えてきました。 そして、なんと全問正解。 本人は大きくはしゃぐわけでもなく、 でも満足そうな表情をしていました。 一字ずつ、世界を読んでいく。 そんな姿に、息子の成長を感じたひとときでした。

沿道に立ったら思いのほか楽しかった話

先週の日曜日、鹿児島マラソンに参加しました! 沿道応援に。笑 引っ越しをしたこともあって、マラソンコースがぐっと近くなりました。 知り合いが走るということもあり、「せっかくだし行ってみるか」と軽い気持ちで向かいました。 正直に言うと、これまで駅伝やマラソンの沿道応援に行く人の気持ちがよくわかりませんでした。 テレビで見る分には盛り上がるけれど、わざわざ現地で立ち続けるってどうなんだろう、と。 でも、行ってみると、思いのほか楽しかった!笑 仮装して走っている人に声をかけると、笑顔で応えてくれる。 苦しそうな表情のランナーに「がんばれー!」と声をかけると、軽く手を上げてくれる。 そのやりとりが、妙にうれしい。 走っているのは向こうなのに、 なぜかこちらが元気をもらっている感覚がありました。 想像以上にランナーの数が多く、しかも当然ながら走っているので、 結局、知り合いは見つけられませんでした。笑 最後のランナーを見送ってから、図書館に立ち寄り、 そのあと近所にできたクッキー屋さんに寄って帰りました。 なんてことのない一日ですが、 なんだかいい休日でした。 沿道に立つという、これまで自分が選ばなかった行動。 やってみると、ちゃんと景色が変わるものだなと思いました。

今日もどっかでニッチな対決

先月、息子と一緒に見ていた「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」が、ついに最終回を迎えました。 戦隊シリーズ50周年という節目の年。 そして、この作品が「最後の戦隊シリーズ」になるという話もあり、どこか特別な空気をまとった作品でした。 ちょうどこの一年は、息子の転園のタイミングとも重なっていました。 環境が変わり、登園にネガティブになっていた時期。 園庭の隅でうずくまり、小さくなっている息子の姿を見たとき、胸がキュッとなったことを覚えています。 そんな朝、車の中でかけていたのがゴジュウジャーのテーマソングでした。 歌詞にある 「今日もどっかでニッチなショウダウン(対決)」 そのフレーズが、不思議と現実とリンクしました。 ヒーローの戦いは派手ですが、息子の戦いは小さなものです。 それでも本人にとっては全力の対決。 園の門をくぐること。 教室に入ること。 先生に挨拶すること。 それは確かに、「ニッチなショウダウン」でした。 テーマソングを息子と歌いながら、力を振り絞って登園してくれていたあの日々。 背中を押してくれる音楽でした。 このシリーズでは、過去の戦隊ヒーローたちも登場しました。 私が子どもの頃に夢中になった、カクレンジャー、ダイレンジャー、ジュウレンジャー。 画面に映った瞬間、思わず胸が熱くなりました。 息子と並んで戦隊を見ながら、自分の少年時代とも再会する。 50周年という時間の厚みを、少し実感した気がします。 ゴジュウジャーは、ただのテレビ番組ではなく、 息子の一年と重なった、思い入れのある作品になりました。 ヒーローは画面の中にいるけれど、 毎朝小さな対決に向き合っていた息子も、立派なヒーローでした。 戦隊シリーズ、ありがとう。 今日もどこかで、誰かがニッチな対決をしている。 きっとそれは、思っている以上に尊い気がします。

桃太郎だって行間で戦っていたのかも。

  先日、息子が借りてきた、五味太郎さんの『だれでも知っている あの有名なももたろう』を読みました。 有名な桃太郎のストーリーの「見えていないところ」を描き直した絵本です。 読んでみると、その裏側を想像する行為そのものがとても刺激的で、物語の見え方が一気に変わりました。 描かれていない部分にどれだけ想像を巡らせるか。 誰もが知っている物語を、どう読み替えるか。 そうした行為こそが、クリエイティビティなのだと感じます。 大学時代、設計の授業で ラーメンズの「風と桶に関する幾つかの考察」 を見るようにと言われたことがあります。 「風が吹けば桶屋が儲かる」という慣用句をもとに、因果関係を何パターンも描き変えるコントです。 同じ素材でも、つなぎ方次第でまったく別のストーリーになる。 その柔軟な視点は、今思い返しても鮮やかでした。 こうした「見えていない部分を読む力」は、地域づくりにも深く関係していると思っています。 地域の表面には、数字や課題や成功事例が並びます。 けれど、本当に動かしているのは、その裏側にある関係性や、気づかれずに眠っている価値だと思います。 そこに想像を巡らせられるかどうかで、地域のストーリーは大きく変わります。 どこにでもありそうな地域で、 たまたま出会った人たちと、 地域を好転させるストーリーをどう描けるか。 成功事例をそのまま当てはめ、受け止めるのではなく、 行間を読み、背景を理解し、自分たちの物語を再編集していく。 その積み重ねこそが、地域を変えていく力につながると感じます。 地域づくりに求められるクリエイティビティは、 派手さではなく、見えていない部分に想像(創造)を差し込む力。 そして、その「読み取ったもの」をストーリーとして編んでいく力なのだと思います。

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 今年の年末年始は、義理の実家でゆっくりと過ごしました。 紅白歌合戦を見たり、箱根駅伝を眺めたり。 いかにも正月らしい時間だったと思います。 紅白では、矢沢永吉さんのパフォーマンスが印象に残りました。 年齢を感じさせないエネルギーと、あの佇まい。 見ていて、素直に元気と勇気をもらいました。 今年はロックで行こうかな、と思ったり。……知らんけど。 先日、今年最初のラジオには、占星術師の方をゲストにお迎えしました。 その方のお話で印象的だったのが、「2026年は本音で生きる人が報われる年」という言葉です。 何をもって“本音で生きる”のかは簡単ではありませんが、自分は本音で生きていけているのだろうか、と我に返るきっかけになりました。 日頃から、自分と向き合うことは意識しています。 それでも、忙しさや役割に流されてしまうことも少なくありません。 だからこそ、今年はより丁寧に、自分の声を聞きながら過ごせる一年にしたいと思っています。 振り返ると、ここ数年は「土台をつくる時間」だったように感じます。 試行錯誤しながら、積み重ねてきたものが、少しずつ形になってきた感覚もあります。 今年は、その土台をベースに、無理なく、でも確実に伸ばしていける一年にしたいところです。 焦らず、誤魔化さず、等身大で。 そんな一年にしていければと思います。 改めまして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。