スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(考えごと)が付いた投稿を表示しています

まちづくりか、地域づくりか

関係者以外にとっては、どうでもよい話かもしれません。 ただ、私はわりと気にしています。 いわゆる地方創生や地域活性化、社会課題への対応といった取り組みを、「まちづくり」と呼ぶのか、「地域づくり」と呼ぶのか。 なかには「まちおこし」と呼ぶ人もいます。 おそらく、明確な正解はありません。言葉の使われ方は地域や分野によっても違いますし、同じ取り組みを指して、ある人はまちづくり、別の人は地域づくりと呼ぶこともあります。 それでも、あえて自分の立場を整理するなら、私は「地域づくり」という言葉を選んでいるのだと思います。 「まち」という言葉に、私は少しだけ生活との距離を感じます。 「今日は、まちに行く」 そんな言い方があるように、「まち」は日常の暮らしから少し離れた、店や施設が集まる場所を指すことがあります。 私の地元でも、「あんた、まちのもんね?」と言う会話を聞くことがありました。 同じ地域に暮らしていても、住んでいる場所によって「まちの人」と、それ以外の人が分けられている。その言葉には、空間的にも心理的にも、少し距離が含まれていたように思います。 もちろん、中心市街地の活性化や商店街の再生、公共空間の整備などについては、「まちづくり」という言葉がよく似合います。 建物や道路、広場、店舗などが集まる場所をどうつくり、どう使い、どのような活動を生み出すのか。 そこには、「まち」という対象が比較的わかりやすく存在しています。 一方で、私が関わる仕事の現場には、「まち」と呼ぶには少し輪郭の曖昧な場所も少なくありません。 集落や中山間地域、離島。 住宅と農地、職場、学校、福祉施設などが近接し、仕事と暮らし、人間関係が分けられない場所です。 そこで扱うテーマも、商業や観光だけではありません。 子育て、福祉、防災、教育、産業、文化、移動、人と人とのつながり。 一つの課題が、暮らしのさまざまな領域と結びついています。 そう考えると、「地域」という言葉の方が、私が向き合っている対象を包み込みやすいのです。 地域は、単なる場所ではありません。 そこに暮らす人、働く人、通う人、関わる人によってつくられる関係のまとまりでもあります。 だから地域づくりとは、何か新しい施設や事業をつくることだけではなく、暮らしの中にある関係や営みを捉え直し、これから何を実現するのかを考えることなのだと思います。 「ま...

公共性を支えるファシリテーション

 昨年あたりから、ファシリテーション研修のご依頼をいただく機会が増えました。 これまでは、ファシリテーションをどちらかといえば「スキル」として捉えていました。 場を設計する。意見を引き出す。議論を整理する。合意形成を支援する。 もちろん、それらは今でも大切な技術です。 ただ、研修の機会が増える中で、ファシリテーションの役割そのものについて考えることが増えてきました。 同じ時期に、「公共性」についても少しずつ学び始めました。 その中で印象に残っているのが、「公共性は平等ではない」という話です。 公共という言葉には、どこか「みんなに開かれているもの」という響きがあります。 けれど実際には、公共の場にすべての声が同じ重さで届くわけではありません。 声が大きい人の意見が通ることがあります。 発言に慣れている人の考えが中心になることがあります。 立場の強い人の言葉が、場の方向性を決めてしまうこともあります。 一方で、小さい声は公共に反映されづらい。 うまく言葉にできない声。 遠慮してしまう声。 そもそも場に届いていない声。 そうした声は、放っておくと見えないままです。 だからこそ、ファシリテーションには大きな意味があるのだと思います。 多様な人の意見を拾い、場に出し、整理し、見える形にしていく。 それは単に会議を円滑に進める技術ではなく、公共性を支えるための営みでもあります。 とはいえ、多様な意見をすべて反映させることが大事だとは思っていません。 現実には、時間も予算も人も限られています。 すべての意見をそのまま実現することはできません。 最終的には、限られたリソースの中で、必要なものが選択されていくべきだと思います。 ただ、その選択の前に、何が語られ、何が見えていなかったのか。 どんな立場の人がいて、どんな小さな声があったのか。 それが可視化され、記録され、場に残ることには意味があります。 公共とは、全員が同じ意見になることではありません。 全員が納得することでもありません。 公共とは、異なる立場の人が出会い、互いの存在を認めながら議論できる状態のことだと思います。 意見が一致しなくても、そこに異なる立場の人がいることを知る。 自分とは違う困りごとや願いがあることを理解する。 その存在が可視化され、尊重される。 そこに、公共性の土台があるのではないかと感じています。...

昨夜の家族会議。

  昨夜、めずらしく家族会議をしました。 といっても、たまたまそれっぽくなっただけなのですが、、、 テーマは、 「おもちゃが壊れないためには、どうするべきか?」 きっかけは、息子がおもちゃを壊したことでした。 といっても、島根で買ってきたフィギュアの台座がポッキり折れた、というくらいの話。 旅の思い出に、家族全員一回ずつガチャガチャで回して買ったもの。 すべて同じ仕様のものだったので、その台座が誰のものが壊れたのかはわからない状態です。 でも、壊れたものは壊れたわけで、、、 それを見た瞬間、少し悲しい気持ちになったのですが、同時に「これはいい機会かもしれない」とも思いました。 なので、息子に問いを立ててみました。 (怒っていないということを前提に) 「なぜ壊れたのか?」 「壊れないためにはどうすべきか?」 途中、現実逃避しながらも、悩み、考える息子。 そこに妻も混ざり、自然と家族会議のようになっていきました。 3人で話した結果、出てきたのは下記の3点。 ・まずは誰のおもちゃか確認すること ・おもちゃには、戦いしていいおもちゃと、そうでないおもちゃがあることを理解すること ・戦いしていいおもちゃかどうかは、手に入れた時に話し合って決めること 些細なことではありますが、いい家族会議だったと思います。 あとは、この結果を息子が守れるかどうか。 そこまで含めて、たぶん「育つ」ということなんだろうなと思っています。 息子にとっては大変だったと思うけれど、いい時間だったのではないかと思います。 親の自己満足かもですが、、、

一字ずつ、世界を読んでいく

  最近、息子がひらがなを覚え始めました。 まだ音と文字が一致しているわけではなく、 見たことはあるけれど、すぐには読めない。 そんな段階です。 先日、保育園からクイズが載ったチラシを持って帰ってきました。 読んで欲しいと頼まれたのですが、「自分で読んでみな」と促してみました。 妻が、ひらがなを覚えるおもちゃを使ってみたらどうかと息子に提案しました。 ボタンを押すと、文字の音を読み上げてくれるおもちゃです。 息子はそのおもちゃとチラシを睨めっこしながら、 一字一字、音を確かめながら読み始めました。 「み」 「ど」 「り」 「の」 「く」 「だ」 「も」 「の」 そんなふうに、ゆっくり、確実に。 時間はかかりましたが、 少しずつ言葉がつながり、文章になり、 やがてクイズの意味が見えてきました。 そして、なんと全問正解。 本人は大きくはしゃぐわけでもなく、 でも満足そうな表情をしていました。 一字ずつ、世界を読んでいく。 そんな姿に、息子の成長を感じたひとときでした。

沿道に立ったら思いのほか楽しかった話

先週の日曜日、鹿児島マラソンに参加しました! 沿道応援に。笑 引っ越しをしたこともあって、マラソンコースがぐっと近くなりました。 知り合いが走るということもあり、「せっかくだし行ってみるか」と軽い気持ちで向かいました。 正直に言うと、これまで駅伝やマラソンの沿道応援に行く人の気持ちがよくわかりませんでした。 テレビで見る分には盛り上がるけれど、わざわざ現地で立ち続けるってどうなんだろう、と。 でも、行ってみると、思いのほか楽しかった!笑 仮装して走っている人に声をかけると、笑顔で応えてくれる。 苦しそうな表情のランナーに「がんばれー!」と声をかけると、軽く手を上げてくれる。 そのやりとりが、妙にうれしい。 走っているのは向こうなのに、 なぜかこちらが元気をもらっている感覚がありました。 想像以上にランナーの数が多く、しかも当然ながら走っているので、 結局、知り合いは見つけられませんでした。笑 最後のランナーを見送ってから、図書館に立ち寄り、 そのあと近所にできたクッキー屋さんに寄って帰りました。 なんてことのない一日ですが、 なんだかいい休日でした。 沿道に立つという、これまで自分が選ばなかった行動。 やってみると、ちゃんと景色が変わるものだなと思いました。

今日もどっかでニッチな対決

先月、息子と一緒に見ていた「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」が、ついに最終回を迎えました。 戦隊シリーズ50周年という節目の年。 そして、この作品が「最後の戦隊シリーズ」になるという話もあり、どこか特別な空気をまとった作品でした。 ちょうどこの一年は、息子の転園のタイミングとも重なっていました。 環境が変わり、登園にネガティブになっていた時期。 園庭の隅でうずくまり、小さくなっている息子の姿を見たとき、胸がキュッとなったことを覚えています。 そんな朝、車の中でかけていたのがゴジュウジャーのテーマソングでした。 歌詞にある 「今日もどっかでニッチなショウダウン(対決)」 そのフレーズが、不思議と現実とリンクしました。 ヒーローの戦いは派手ですが、息子の戦いは小さなものです。 それでも本人にとっては全力の対決。 園の門をくぐること。 教室に入ること。 先生に挨拶すること。 それは確かに、「ニッチなショウダウン」でした。 テーマソングを息子と歌いながら、力を振り絞って登園してくれていたあの日々。 背中を押してくれる音楽でした。 このシリーズでは、過去の戦隊ヒーローたちも登場しました。 私が子どもの頃に夢中になった、カクレンジャー、ダイレンジャー、ジュウレンジャー。 画面に映った瞬間、思わず胸が熱くなりました。 息子と並んで戦隊を見ながら、自分の少年時代とも再会する。 50周年という時間の厚みを、少し実感した気がします。 ゴジュウジャーは、ただのテレビ番組ではなく、 息子の一年と重なった、思い入れのある作品になりました。 ヒーローは画面の中にいるけれど、 毎朝小さな対決に向き合っていた息子も、立派なヒーローでした。 戦隊シリーズ、ありがとう。 今日もどこかで、誰かがニッチな対決をしている。 きっとそれは、思っている以上に尊い気がします。

桃太郎だって行間で戦っていたのかも。

  先日、息子が借りてきた、五味太郎さんの『だれでも知っている あの有名なももたろう』を読みました。 有名な桃太郎のストーリーの「見えていないところ」を描き直した絵本です。 読んでみると、その裏側を想像する行為そのものがとても刺激的で、物語の見え方が一気に変わりました。 描かれていない部分にどれだけ想像を巡らせるか。 誰もが知っている物語を、どう読み替えるか。 そうした行為こそが、クリエイティビティなのだと感じます。 大学時代、設計の授業で ラーメンズの「風と桶に関する幾つかの考察」 を見るようにと言われたことがあります。 「風が吹けば桶屋が儲かる」という慣用句をもとに、因果関係を何パターンも描き変えるコントです。 同じ素材でも、つなぎ方次第でまったく別のストーリーになる。 その柔軟な視点は、今思い返しても鮮やかでした。 こうした「見えていない部分を読む力」は、地域づくりにも深く関係していると思っています。 地域の表面には、数字や課題や成功事例が並びます。 けれど、本当に動かしているのは、その裏側にある関係性や、気づかれずに眠っている価値だと思います。 そこに想像を巡らせられるかどうかで、地域のストーリーは大きく変わります。 どこにでもありそうな地域で、 たまたま出会った人たちと、 地域を好転させるストーリーをどう描けるか。 成功事例をそのまま当てはめ、受け止めるのではなく、 行間を読み、背景を理解し、自分たちの物語を再編集していく。 その積み重ねこそが、地域を変えていく力につながると感じます。 地域づくりに求められるクリエイティビティは、 派手さではなく、見えていない部分に想像(創造)を差し込む力。 そして、その「読み取ったもの」をストーリーとして編んでいく力なのだと思います。

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 今年の年末年始は、義理の実家でゆっくりと過ごしました。 紅白歌合戦を見たり、箱根駅伝を眺めたり。 いかにも正月らしい時間だったと思います。 紅白では、矢沢永吉さんのパフォーマンスが印象に残りました。 年齢を感じさせないエネルギーと、あの佇まい。 見ていて、素直に元気と勇気をもらいました。 今年はロックで行こうかな、と思ったり。……知らんけど。 先日、今年最初のラジオには、占星術師の方をゲストにお迎えしました。 その方のお話で印象的だったのが、「2026年は本音で生きる人が報われる年」という言葉です。 何をもって“本音で生きる”のかは簡単ではありませんが、自分は本音で生きていけているのだろうか、と我に返るきっかけになりました。 日頃から、自分と向き合うことは意識しています。 それでも、忙しさや役割に流されてしまうことも少なくありません。 だからこそ、今年はより丁寧に、自分の声を聞きながら過ごせる一年にしたいと思っています。 振り返ると、ここ数年は「土台をつくる時間」だったように感じます。 試行錯誤しながら、積み重ねてきたものが、少しずつ形になってきた感覚もあります。 今年は、その土台をベースに、無理なく、でも確実に伸ばしていける一年にしたいところです。 焦らず、誤魔化さず、等身大で。 そんな一年にしていければと思います。 改めまして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ノイズと、創造性

最近、YouTubeなどでデザイナーズマンションを内見する動画を目にすることが増えました。 建築の専門知識がなくても、誰もがデザインを身近に感じられる点では面白い現象です。 けれど一方で、そうした動画が「ネタ」として消費され、クリエイターの挑戦を揶揄するような空気を生んでいることに、少し怖さも感じます。 上記の内見動画もそうですが、「快適さ」や「使いやすさ」だけを価値の基準とする社会の流れがあるように思います。 それ自体は悪いことではありませんが、便利さが正義になりすぎると、創造の余白が失われていくのではないかなと思えてしまいます。 私は、創造性の余白は、人が感じる違和感や居心地の悪さにもあって、そういう感覚もノイズではあるけれど、大事なものだと考えています。 なので、社会が「ノイズのない状態」へと進んでいるのではないかと少し不安に、、、 ノイズが消える社会の行き着く先 もし、あらゆるノイズが排除されていけば、世界はどんどん滑らかで、安全で、整っていきます。 けれどその先にあるのは、驚きや感動が起こらない“静かな絶望”かもしれません。 リスクを取る人が減り、挑戦が笑われ、新しい表現が生まれにくくなる。 そして、人々の想像力は徐々に退化していく。 社会全体が「正解の形」をしていながら、どこか息苦しく、何かが足りない――そんな未来がぼんやりと見えてきます。 この流れは、生成AIの広がりにも重なります。 AIは圧倒的なスピードで「整った正解」をつくります。 その精度と便利さは素晴らしいものですが、同時に「間」や「ためらい」といった文化的な美しさを削り取ってしまう。 日本の「粋」や「風情」は、言葉にしない余韻や、あえて外す間合いに宿っていました。 AIが整えすぎるほど、そうした「ゆらぎ」が消えていく。 では、人間はどうすればいいのでしょうか。 おそらく、AIを「正解を出す道具」ではなく、自分の感覚を確かめるための「鏡」として使うことが鍵。 AIが整えたものを見て、「自分ならどこを崩すか」を選ぶ。 それこそが、これからの創造のかたちなのかもしれません。 クリエイティブとは、ノイズを設計すること 本来、デザインや建築、文章などの表現行為は、「秩序とノイズの配分」だと言えます。 完全に整うと退屈で、崩しすぎると伝わらない。 その“ちょうどよいズレ”を見つけるのが、作者の仕事です。...

木削り

最近、趣味を模索しています。 歳を重ねるごとに、安定思考になり、失敗したくない気持ちが強くなった気がします。 そんなことを先日友人にも指摘されて、30代最後の年に「これから続けられる趣味」を見つけようと思っています。 そんなこんなで、木を削りはじめています。 なぜ木削りなのか。 前職の頃に参加した「ヨウさんの木削り教室」を思い出したから。 とても心地よい時間だった記憶が残るワークショップ。 ヨウさん——本名は滝本ヨウ。 都市計画コンサルタントとして激務を続けるなか、心を病み、不眠症に悩んだ時期があったそう。 そんな時、親友から送られてきた一本の切り出しナイフといくつかの木片が、木削りを始めるきっかけに。 その瞬間、忘れていた少年時代の感覚が蘇ったそうだ。 自然の中で夢中で木を削っていた頃の自分。 それは「頭で考える自分」ではなく、「心と感覚で生きていた自分」との再会だったとヨウさんは語っています。 木削りは、何か用途のあるものを作るわけではなく、 自分で選んだ木と対話しながら、ただ削る。 年輪に沿い、節に出会い、考えながら刃を入れていく。 終わりも自分で決める。 ヤスリをかけて、ワックスを塗ったら完成。 それだけの行為なのに、確かに満たされる。 ヨウさんは言っていた。 「木削りは、木に触れて自然を感じる時間。そして、素直な自分に還る時間。」 彼が大切にしているのは、機械文明ではなく、人の手による“文化”としての暮らし。 自然と人との間にある、ゆるやかな呼吸のような関係だ。 そんなワークショップを思い出して、ふと自分でもやってみはじめました。 ホームセンターで廃材を探し、肥後守を一本購入。 削り始めて小一時間。 特に用途はない。 それでも短い時間の中で、木に愛着が湧いてくる不思議。 削る音と木の香り。 手の中に残る感触。 その小さな積み重ねが、思考をほどいてくれる。 きっと、しばらく続けると思います。

自分にあった1本が選びたい。

  鹿児島県には113の焼酎蔵元があり、銘柄は2000を超えると言われています。 その象徴として思い出すのが、よく行く県庁のロビー。 使われなくなったエスカレーターに、県内の焼酎がずらりと並んでいますが、その前を通るたびに思うんです。 「この違いを全て語れる人は何人いるのだろうか?」  「ここから私に合った一本を、誰が選んでくれるのだろうか?」 焼酎の売り場に立っても、似たような感覚を抱く。  商品ラベルには、力強いロゴや煌びやかな写真、イラストが並ぶ。 けれど、それが自分に合っているかどうかは、まるでわからない。 以前、焼酎の蔵元の方と仕事をする機会があった。そのとき教えてもらったのが、「蒸留方法」「麹」「芋の種類」の組み合わせで焼酎の個性がつくられている、という考え方でした。 とてもわかりやすかったし、それを知ってから、自分に合った焼酎の傾向も少しずつわかるようになってきた。 改めて売り場に立つと、ほとんどの焼酎は、その情報を提供していないことに気づく。 芋の種類と麹の種類が書いてあるものは稀にあるが、蒸留方法について書いてあるラベルにはほとんど出会わない。 (私が自分に合った焼酎を選ぶには、蒸留方法を知ることが何より大事。) そんな中、先日訪れた焼酎の売り場には、なんとポップに蒸留方法が書いてありました。  それだけで歓喜。笑 ラベルに記載できる情報には限りがあるのは理解しているつもりです。  それでも、せめて売り場のポップやプライスカードに、「蒸留方法」「麹の種類」「芋の種類」を記してくれていれば、選びやすさは格段に上がる。 そしてこの考え方—— 蒸留方法 × 麹 × 芋 ——が、もっと広まるべきだと思っています。 こうした売り場が増えてほしい。 私の出身大学では、飲み会文化が盛んだった。 安価な、いわゆる“芋臭い”焼酎(こういうと怒られますが)を何の説明もなく飲まされて、焼酎嫌いになってしまう人がたくさんいました。 こういう“ミスマッチ”をなくすことが、焼酎文化の裾野を広げる上でも、きっと大事だと思っています。

グッバイ親知らず

数年前から、親知らずの存在には気づいていた。 レントゲンにもはっきり写っていたし、「いつかは抜かないといけないな」と思いながら、忙しさと恐怖を言い訳に先延ばしにしていた。 1ヶ月ほど前のある日、突然奥歯に激痛が走った。 親知らずが脳裏をよぎる。 引越ししてからというもの、近所の歯医者には一度も行けておらず、目をつけていた歯科医院に、思わず電話をかけた。 診てもらうと、やはり親知らずが虫歯化していた。 抜くしかないとのこと。 覚悟を決めて、抜歯の日程を決めた。 そして迎えた抜歯当日。 先生から丁寧に説明を受ける。 実は私、体にメスを入れるのは人生初。 麻酔が効いているとはいえ、怖いものは怖い。 治療台の上で、心拍数がどんどん早くなり、鼓動が自分でもわかるほどになる。 いざ処置が始まると、痛みこそないが、ガリガリ、メリメリという音と振動がダイレクトに体に響く。 完全にホラーである。 途中、「口閉じていいですよ」と声をかけられるも、麻酔が効きすぎてうまく閉じられない。 結局、歯科助手さんがやさしく閉じてくれる。 ちょっと恥ずかしい。 そんなこんなで、抜歯は無事終了。 大きなトラブルもなく、処置は完了。 現在は、消毒や薬の服用など、アフターケアの真っ最中である。 一歩大人になった気がした。歯は減ったけど。

解体される家

実家の近所には、血縁以外に私を育ててくれたご近所さんがいる。 通称「きいばぁ」と「しまばぁ」。みんないつも優しかった。 厳格な祖母との対比もあって、よく遊びに行った。 そんな頃も遠い昔。私も40手前になった。 しまばぁは、いつのまにか亡くなっていた。 家族との会話の流れのなかで知った。(教えろよ、と思った。) そして先日、きいばぁは高齢ということもあって、息子さんたちのいる宝塚へ引っ越した。 残されたのは、大工であるきいばぁのご主人が建てた家だけ。 大学で建築を学びたいと思った要因のひとつは、間違いなくきいばぁの家にある。 誰かが家を建てたというストーリーが、身近にあったことが影響していると言える。 きいばぁの家も、住み手がいなくなればただの古い空き家になる。 住み手がいなくなった家が朽ちるのは早い。 そこは潔い性格のきいばぁはさすがで、すぐに解体を決意していた。 そして、先日から解体が始まったそうだ。 母から進捗の様子として写真が送られてくる。 立派な大黒柱、年季の入った土壁。 家財道具のなくなった家は、きいばぁのように潔く、かっこいい。 少しずつ解体される家。 解体の様子がなぜか美しい。 思い出と共に、淋しさが残る。 ひとの家なのに。 諸行無常。 そう言えばそれまでだけど、確かにあの家があり、きいばぁがいて、そこに私の思い出も確かにあった。

住居とコミュニティ

安定の書く書く詐欺で前回から1年。 相変わらず続かないブログを性懲りも無く更新します。  最近あったことをつらつらと書こうかなと。 コミュニティづくり推進大会のパネルディスカッションに登壇 先月、鹿児島県コミュニティづくり推進大会にてパネルディスカッションに登壇しました。 コーディネーターとして、島根県の田中輝美さん、頴娃町の加藤潤さん、横川町の白水理恵さんをゲストに迎え、それぞれの地域での取り組みについてお話を伺いました。 特に印象的だったのは、地域の「受け入れ側」と「受け入れられる側」の所作についての議論です。移住者を迎え入れる地域のスタンスや、移住者自身がどのように地域に馴染んでいくかといった視点が交わされ、とても興味深い内容となりました。 また、田中さんとは同郷ということもあり、地元の話題でも盛り上がり、改めて自分のルーツを再認識する機会にもなりました。 リノベーションで新しい暮らしへ プライベートでは、大きな変化がありました。引っ越しをして、新たな住まいに移りました。 マンションを購入し、建築家の辻琢磨さんに「更新設計」を依頼。今まで使っていたものを活かしながら、暮らしながら少しずつ空間を更新していくというコンセプトに共感し、実践しています。 住み始めて2か月が経ちますが、これまでの生活の延長線上にありながら、ストレスのない暮らしができています。リノベーションというと劇的な変化を求めがちですが、「更新」という視点を持つことで、無理のない形で生活を整えていけることを実感しています。 住居とコミュニティ 新しく住み始めたマンションの住民の方々はご高齢の方が多いですが、皆さんとてもフレンドリーで心地よく過ごせています。世代を超えて日常的に交流できる環境があり、地域との関わり方を改めて考えさせられる機会になっています。 地域づくりの観点からも、住宅環境の変化は大きな影響を持っています。高齢化が進む中で、住まいをどのように維持・活用していくか、また新たな住民がどのように地域に馴染んでいくかは、今後ますます重要になるテーマだと感じています。 今回の引っ越しを通じて、個人の暮らしと地域の関係性について、より深く考えるきっかけを得ました。

新年度に向けて

3月も終わり。 年度が変わるタイミングはいつもソワソワしてしまいますね。 新年度に向けていい準備ができればと思いながら過ごしております。 人事異動のシーズン この時期は、各自治体でお世話になった方々が離れていってしまうシーズンでもあります。 今年度ご一緒させていただいた方も数名が部署を離れられます。 なかには「1年目なのにもう言っちゃうの?」という方も。 次年度についても協議していた方もいたりしたので、致し方ないとはいえ、なんとも悲しい気持ちになりますね。 ただ、移動先でお声かけいただけたりすることもあるので、長い目で皆さんとお付き合いできればいいなぁと思っています。 新天地でもご活躍されることでしょう。 良い習慣は才能を超える 年度が変わるタイミングは、何か習慣づけるのにはいい時期だそうです。 フレッシュスタート効果と言って、新しい年を迎えるとき、新年度になるときなどに合わせて習慣化したいことを始めると、効果があるそう。 個人的に、次年度に移行するにあたって習慣づけたいことは 読書週間 中学校や高校のように「朝10分間の読書週間」みたいな形でインプットの時間を取れるようにしたいなと思っています。 忙しさを言い訳になかなか時間が取れないので、強制的に取れればいいかなと。 今年で創業してから10年目に突入します。 まだまだたくさんの知見を得ながら、公私に活かしていければと思っています。 皆さんはどんな習慣づけをしたいですか? 健全なご意見 年度末ということもあり、いくつかのプロジェクトで成果報告会なども実施しています。 先日、一昨年度から関わっているとあるプロジェクトでも報告会が行われました。 前年度に計画策定をして、今年度がさまざまなプロジェクトを進めていく初年度。 事業を進める上で指標となる面白いデータも取れたことなども報告・共有させてもらいました。 計画策定時にはさまざまな市民の方に関わっていただいたプロジェクトだったのですが、その報告会の中で、ひとりの参加者の方が「計画への関わり方がわからない」と言ったご意見を共有されました。 コアとなる関係者間では順調にいっているつもりでも、そうでない方は当然いるし、声が上がらないからと言って、そういう方がいないという訳ではない、と改めて気付かされたシーンでした。 声をあげてくれた方には感謝しかないのですが、こう言った方々が...

年々スピード感が上がる年度末

もう3月になってしまいました。 前回記事にも書きましたが「一月往ぬる二月逃げる三月去る」とはよく言ったもので、歳を重ねるごとにスピード感が上がっている気がします。汗 3月はどんな1ヶ月になるのでしょうか・・・。 思い込みは捨てたい 先日、海に隣接するいちき串木野市で「近海魚」をテーマにした取材を行いました。 いくつかの物産館や魚屋さんへ話を伺いに行ったのですが、どこの方も口を揃えていうのが「鮮度を大事にしている」ということ。 「魚屋だから当然でしょ」と思われますが、そこで聞いた鮮度の考え方が面白かったのです。 「獲ってすぐ締めればいい」と思っていたのですが、そういうわけではないらしい。 逃げまわった魚の筋肉は疲労していて、その場で締めるとアンモニアが出るそう。 プロの方々は少し魚を休ませてから締めるのだとか。 そうすることでアンモニアの発生を抑え、臭みのない切り身にできる。 取材先でいただいた刺身はどれも美味しく、取材しながらバクバクと箸を進めていました。笑 言われてみて納得で、思い込みで語るべからず、、、だなぁと思った出来事でした。 (切り身にしてからも、プリプリなのがいい人もいれば、トロッと溶けるくらいのがいい人もいるので、締めた後も色々とあるそうで、これまた奥が深そう。) 公職の方にも人として接する 県職員の356人が精神疾患で休職というニュースが目に留まりました。 クライアントに行政の方が多いこともあって目に留まった気もしますが、実際に担当者が途中で変わるケースもあった経験もあるので「確かにそうかもなぁ」と思ったところもあります。 ありがたいことに私は接する職員の方々は、素敵な方ばかり。 そんな人たちの職場が大変なのは、こちらとしても悲しいはなしだなと思います。 職場の人間関係や就労環境など、様々なことが精神疾患の原因に挙げれると思いますが、 外部の人間ができることとしては、ちゃんと人ととして接してあげることくらいじゃないかなと思います。 時折相手が機械なんじゃないかと思うような物言いをされる方も見かけます。 「税金で働いているから」といって何を言ってもいいわけではないと思うわけですが、相手も一人の人間であることを頭に入れて、接して対話することが重要なんじゃないかなとこのニュースを見て思いました。 どの職場でも心身ともに健康的な場であってほしいなぁと思います...

「逃げる2月」ももう折り返し

2月に入りました。 公的機関がクライアントに多いので、年明けからの慌ただしい感じは年末って感じだなぁと思う今日この頃です。 入口が違えば関わる人も変わる 惣菜店を始めて3ヶ月が過ぎ、住むだけでは関わってこなかった地域の方々とコミュニケーションが取れるようになってきました。 小学生、一人暮らしの若い方、ファミリー、高齢者などなど。 多種多様な方々が周辺に住んでいることを実感。 それぞれに暮らしがあり、それに寄り添える事業をやっていければと改めて思う次第です。 これまでもまちづくりをいろんなところでやってきましたが、入口が違えば関わる人も変わってくる。 その方々の課題やニーズを捉えながら、事業を展開していくことにやりがいを見出しつつあります。 そういう意味では「惣菜店の間口は広い(いろんな人が来てくれる)なぁ」なんて思っています。 自分のやりたいことを持つ大事さ 年度末にかけて、携わっている事業関係も終わりを迎えます。 3年目となるワタシらしいはたらくを描くセミナーは、毎回最後に交流会を任意で実施して、ゲストにOGを招いて話を聞く時間にしています。 セミナーの後の活動を聞きながら、どう変化していっているのかアフタートーク的な感じでお聞きする時間。 去年も、今年も、そうだったのですが、お呼びする方みなさんバイタリティがあって、シンプルに「すごいなぁ」と感じます。 環境もかわりながら、前向きに「自分の目指す未来」に向けて生きる方々の姿勢には勇気づけられるばかり。 そういう方々をみると「自分のやりたいことを持つ」というのは大事だなと改めて思います。 「自分のやりたいことは何か?」常に問いとして持っておきたいですね。 5年ぶりにスマホを機種変更してみたら 1月末に長らく使ってきたスマートフォンの充電できなくなってきて、流石に仕事にも支障がでてきつつあったので機種変更しました。 調べてみるとなんと5年ぶりの機種変更。 新しいものを触っていると、それまで使っていたものの性能がかなり落ちていたことと新しいものの性能が上がっていることを実感できます。 (カメラ機能が向上して息子の写真が綺麗に取れるようになったので、妻から褒められています。いや、これまでがひどかったのか?笑) 毎日触るもので気づかなかったけど、この5年のギャップは凄まじいなぁと。 何事もそうかもですが、定期的に買い替える...

新しい1年に向けて

あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。 2024年もスタートし、昨日より仕事始めとしています。 課題を多く残した2023年を払拭すべく、気合いの入った年にしたいと考えています。 あらためて地域に目を向けて 日本国内では、元旦から「北陸地方での大地震」という衝撃的な出来事がありました。 被害にあった皆様には、心よりお見舞い申し上げるとともに、1日も早い復興をお祈り申し上げます。 少額ではありますが、 寄付(Yahoo!基金) をさせてもらいました。 また、ニュース映像等で道路や電気、水道などのライフラインが寸断されてしまった様子を見ながら「こういう事態が起きた場合、やはり地域の繋がりというものが大事なのではないか」と考えさせられました。 「遠くの親類より近くの他人」という言葉がありますが、互助で乗り切ることが否応なく求められる。 地震大国・日本では、どこで同じような状況があるかわかりません。 「普段からのコミュニケーションがこういう際に重要になってくるのではないか」そんなことを感じました。 あらためて、自身の活動に寄せて考え「地域」というものとの関係性づくりをしていかねばならないと思う新年の出来事でした。 自分を深ぼる一年に 年末年始は、やはり気持ちが切り替えやすいタイミング。 2024年のプライベートな目標についても考えました。 色々と考えた結果、今年は「無目的に楽しめることを見つける」にしようと思いました。 「趣味」という言葉に置き換えれるかもしれません。 ここ数年、自分のやりたいことや好きなことが見当たらず、「あれ?自分って何にテンション上がるんだっけ?」「何にモチベーションがあってやってたんだっけ?」と自分自身を見失う瞬間が何度かありました。 もちろん数年前には一度確認した部分ではありますが、ライフスタイルや役割、立場の変化などで変わりつつあるなぁと思い至ったところです。 なので、自分のハマったものなどを洗い出し、再体験しながら、時間をかけて、改めて自分というものを見直す1年にしたいと思います。 どこに行き着いたか、ここでまたご報告できればと思っています。 クオリティを高める 仕事においての目標としては、事業ごとのクオリティをさらに高めることをしていきたいと思っています。 昨年は、スタッフが増えたこともあり、業務の効率化、最適化、...

2023年をざっくり振り返って

今年も残すところ、あとわずか、、、 「なかなかしんどい一年だったなぁ」 と振り返りながら、感じたことを書き留めたいと思います。 挑戦には苦難がつきもの? 今年やったことのなかで最大の挑戦はやはり惣菜店のオープン。 いろいろと考えたつもりでしたが、理想と気持ちだけではなんともならず、悪戦苦闘。 信頼できる方々やスタッフに助けてもらいながら、軌道修正しつつあります。 やってみないとわからないことばかりですね。。。 「挑戦には苦難がつきもの」とはよく聞きますが、実際降りかかってくるものを体感するのは相当しんどい。苦笑 でもその先に自分が描いた風景が待っているのであれば、まだ頑張れる。 そう思えるようにはなった年末です。 (それまではかなり気持ちが沈んでました。苦笑) 最善は尽くせたか? 他にも色々とやらかしたり、うまくいかなかったことの多かった1年。 振り返りをするなかで、よく自分に問いかける言葉が 「その時、最善を尽くせたか?」 これは尊敬する友人とプロジェクトをするなかで教えてもらったこと。 「結果はどうあれ自分がベストを尽くせたかどうかが、自分の成長につながっているよね」と。 「最善を尽くしましょう。」 ことあるごとに自分に言い聞かせていたなぁと思います。 家族に支えられた1年 なによりこの2023年は、家族にめちゃ助けられました。 妻にも、2歳になる息子にも、いろんなところで精神的に支えてもらいました。 「こんな情けない父ちゃんでごめんなぁ」と何度思ったことか、、、 家族がいたから折れずに走って来れたらなぁと思います。 独身時代を思えば、最強の味方ができた気持ちです。 この1年の感謝を忘れず、来年は家族にちゃんと結果で返していきたいと思っています。 しんどいとばかり言ってきましたが、この「しんどさ」を払拭できるように、来年は、結果を出せる1年にしたいと思っています。 ほんとに悔しかった2023年、2024年はそれをバネにしていきます。

地元で開催された展示を見てきました

12月に入り、今年もあとわずか、、、というところでしょうか。 暖冬らしいのですが、朝晩は普通に寒いですね。 さて、過日にはなりますが、先日島根に弾丸帰省してきました。 なにか不幸があったわけではなく、地元の島根県立石見美術館で開催されている企画展「建築家・内藤廣 BuildとUnbuild」を見るために行ってきました。 ※もう会期は終了しています。 最も身近な建築家のひとり 今はまちづくりや社会課題解決のお手伝いを仕事としてやっていますが、私は元々大学では建築を勉強していました。 実家が製材所であることや、近所に職人さんたちがいたこともあって、漠然と建築を学びたいと思って、大学進学しているという背景があります。 そんな受験中に着工し、卒業前くらいに完成していたのが島根県立石見美術館が入っている島根県芸術文化センター「グラントワ」。 どうやら建築家が関わっているらしいということは聞いていて、のちにその人物が内藤さんであることを知りました。 そこから、内藤さんに興味を持ち(理解していたかどうかは置いておいて)彼の著書を読み漁った大学時代でした。 大学時代から今も、実家に帰省するたびに立ち寄っては、空間を堪能させてもらい、建築家の息吹を感じているので、私にとっては、内藤さんは最も身近な建築家の一人といえるかなと思っています。勝手に。 赤鬼と青鬼が教えてくれる展示 企画展は、内藤さんのこれまでを振り返る大規模な展示会。 全国でもなかなか見れないボリュームの展示らしく、駐車場にも県外ナンバーが多く関心の高さが伺えました。 実際の展示は、内藤さんのこれまでの仕事を「実際できたもの」と「できなかったもの」に分けて展示。 図面や模型、映像など、かなりの量がありました。 (時間が足りなかったので、図集を購入。) 加えて、青鬼と赤鬼というキャラクターがそれらを解説。 ざっくり青鬼は理性、赤鬼は感性の役割を持って、彼らのやり取りで当時のプロジェクトについて窺い知ることができました。 個人的な感想ですが、内藤さんの建築に対する向き合い方は素直で自然だなと思っています。 クライアント、土地、素材、構造、デザインなど、見ているとしっくりくるし、違和感が少ない。 かといって、個性がある感じを学生時代から感じていて、それがより解像度高くわかる内容で、大変胸熱な展示でした。 公共施設建設で考えること...