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7月, 2026の投稿を表示しています

まちづくりか、地域づくりか

関係者以外にとっては、どうでもよい話かもしれません。 ただ、私はわりと気にしています。 いわゆる地方創生や地域活性化、社会課題への対応といった取り組みを、「まちづくり」と呼ぶのか、「地域づくり」と呼ぶのか。 なかには「まちおこし」と呼ぶ人もいます。 おそらく、明確な正解はありません。言葉の使われ方は地域や分野によっても違いますし、同じ取り組みを指して、ある人はまちづくり、別の人は地域づくりと呼ぶこともあります。 それでも、あえて自分の立場を整理するなら、私は「地域づくり」という言葉を選んでいるのだと思います。 「まち」という言葉に、私は少しだけ生活との距離を感じます。 「今日は、まちに行く」 そんな言い方があるように、「まち」は日常の暮らしから少し離れた、店や施設が集まる場所を指すことがあります。 私の地元でも、「あんた、まちのもんね?」と言う会話を聞くことがありました。 同じ地域に暮らしていても、住んでいる場所によって「まちの人」と、それ以外の人が分けられている。その言葉には、空間的にも心理的にも、少し距離が含まれていたように思います。 もちろん、中心市街地の活性化や商店街の再生、公共空間の整備などについては、「まちづくり」という言葉がよく似合います。 建物や道路、広場、店舗などが集まる場所をどうつくり、どう使い、どのような活動を生み出すのか。 そこには、「まち」という対象が比較的わかりやすく存在しています。 一方で、私が関わる仕事の現場には、「まち」と呼ぶには少し輪郭の曖昧な場所も少なくありません。 集落や中山間地域、離島。 住宅と農地、職場、学校、福祉施設などが近接し、仕事と暮らし、人間関係が分けられない場所です。 そこで扱うテーマも、商業や観光だけではありません。 子育て、福祉、防災、教育、産業、文化、移動、人と人とのつながり。 一つの課題が、暮らしのさまざまな領域と結びついています。 そう考えると、「地域」という言葉の方が、私が向き合っている対象を包み込みやすいのです。 地域は、単なる場所ではありません。 そこに暮らす人、働く人、通う人、関わる人によってつくられる関係のまとまりでもあります。 だから地域づくりとは、何か新しい施設や事業をつくることだけではなく、暮らしの中にある関係や営みを捉え直し、これから何を実現するのかを考えることなのだと思います。 「ま...

公共性を支えるファシリテーション

 昨年あたりから、ファシリテーション研修のご依頼をいただく機会が増えました。 これまでは、ファシリテーションをどちらかといえば「スキル」として捉えていました。 場を設計する。意見を引き出す。議論を整理する。合意形成を支援する。 もちろん、それらは今でも大切な技術です。 ただ、研修の機会が増える中で、ファシリテーションの役割そのものについて考えることが増えてきました。 同じ時期に、「公共性」についても少しずつ学び始めました。 その中で印象に残っているのが、「公共性は平等ではない」という話です。 公共という言葉には、どこか「みんなに開かれているもの」という響きがあります。 けれど実際には、公共の場にすべての声が同じ重さで届くわけではありません。 声が大きい人の意見が通ることがあります。 発言に慣れている人の考えが中心になることがあります。 立場の強い人の言葉が、場の方向性を決めてしまうこともあります。 一方で、小さい声は公共に反映されづらい。 うまく言葉にできない声。 遠慮してしまう声。 そもそも場に届いていない声。 そうした声は、放っておくと見えないままです。 だからこそ、ファシリテーションには大きな意味があるのだと思います。 多様な人の意見を拾い、場に出し、整理し、見える形にしていく。 それは単に会議を円滑に進める技術ではなく、公共性を支えるための営みでもあります。 とはいえ、多様な意見をすべて反映させることが大事だとは思っていません。 現実には、時間も予算も人も限られています。 すべての意見をそのまま実現することはできません。 最終的には、限られたリソースの中で、必要なものが選択されていくべきだと思います。 ただ、その選択の前に、何が語られ、何が見えていなかったのか。 どんな立場の人がいて、どんな小さな声があったのか。 それが可視化され、記録され、場に残ることには意味があります。 公共とは、全員が同じ意見になることではありません。 全員が納得することでもありません。 公共とは、異なる立場の人が出会い、互いの存在を認めながら議論できる状態のことだと思います。 意見が一致しなくても、そこに異なる立場の人がいることを知る。 自分とは違う困りごとや願いがあることを理解する。 その存在が可視化され、尊重される。 そこに、公共性の土台があるのではないかと感じています。...