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8月, 2026の投稿を表示しています

「バトルしようよ」が苦痛だった

息子からよく言われます。 「バトルしようよ」 正直に言うと、これがちょっと苦痛でした。 ブロックでポケモンのようなモンスターを作り、それを戦わせる遊びです。 もちろん、息子と遊ぶこと自体が嫌なわけではありません。 問題は、ルールです。 というか、ルールがない。 「攻撃!」 「バリアあるから効かない!」 すべてが息子の裁量で決まります。 こちらがどんな攻撃をしても、息子が「効かない」と言えば効かない。 向こうが繰り出した必殺技は、だいたいものすごく強い。 何も面白くない。 これはいかん。 せめて、私も楽しめるくらいのゲーム性を持たせられないものか。 そこで、AIに相談してみることにしました。 着想にしたのは、私も子どもの頃に遊んだ「バトル鉛筆」です。 鉛筆を転がして、出た面によって相手にダメージを与えたり、特殊な効果を発動したりする。 運の要素があるから、大人と子どもでも勝負が成立します。 これをブロックモンスターのバトルに応用してみることにしました。 まず、モンスターを「攻撃型」「バランス型」「防御型」の3種類に分類。 タイプの違いで、サイコロの出目によって与えられるダメージが違ったり、ライフポイントが違ったり。 それぞれに特徴を持たせ、強すぎるタイプが生まれないようにゲームバランスを調整しました。 さらに、属性と相性の概念も導入。 (ただ、ここはまだ少し難しく、相性によって始まる前から勝負が決まってしまうこともあり、現在も調整中です。) 最初は1対1で戦わせていましたが、これだと相性次第ですぐに決着がついてしまう。 そこで、複数のモンスターを用意して戦うルールに変更しました。 「攻撃型」「バランス型」「防御型」は、それぞれ1体ずつしか使えない。 つまり、最大3対3。 誰を先に出すのか。相手を見て、次にどのモンスターを出すのか。 少しずつ考える余地も生まれてきました。 そして何より大きかったのが、 妻でも遊べるようになったこと。 これまでは息子の脳内にしかルールブックが存在しなかったので、第三者が参加するにはなかなかハードルの高い遊びでした。 でも、ルールをつくったことで、みんなが同じ条件で遊べるようになりました。 AIを使ってみると、こんなゲームまで一緒につくれるのかと感心しました。 息子の想像力だけで遊ぶ世界も、もちろん面白い。 でも、そこに少しだけルールを加え...

「整う」がわからない

仕事の関係もあって、最近サウナに挑戦しています。 サウナに入り、水風呂に入り、休憩する。 調べたところによると、これを何度か繰り返すことで、いわゆる「整う」という状態になるらしいので、やってみています。 でも、いまいち「整う」がわからない。 そもそも「整う」とは、どんな状態なのか。 AIに聞いてみたところ、こんな感覚があるそうです。 ・身体の力が抜ける。 ・頭がぼんやりするのに、不思議とスッキリしている。 ・呼吸が自然にゆっくりになる。 ・椅子に座っているだけなのに妙に気持ちいい。 ・身体がふわっと浮くような感覚がある。 ・「しばらくここにいたい」と感じる。 なるほど。 一つずつ自分の身体と照らし合わせてみます。 「身体の力が抜ける」 これは、あります。でも、それを「気持ちいい」とは思えていません。 「呼吸が自然にゆっくりになる」 言われてみれば、確かにそうなっています。 「身体がふわっと浮くような感覚がある」 これも、あります。 ・・・多分、整っている。 どうやら私は、サウナーの皆さんが「整う」と表現している身体変化の一部を、すでに経験しているようでした。 ただ、その感覚にポジティブな意味づけができていない。 身体の力が抜けて、少しふわっとする。 サウナーなら、 「きた。整った。」 となるのでしょうが、私は、 「うーん、まぁ、言われれば。」 くらいに受け取っている。 同じ身体変化でも、それをどう認識するかによって、体験はずいぶん変わるものです。 もしかすると「整う」とは、身体の状態だけではなく、その状態を「気持ちいい」と認識できるところまで含めた言葉なのかもしれません。 経験を重ねれば、その感覚も変わってくるのでしょうか。 ちなみに、今のところ間違いなく「気持ちいい」と思えている瞬間があります。 脱衣所の扇風機。 風呂から上がり、身体を拭いて、扇風機の前に立つ。 これは文句なしに気持ちいい。 整ったかどうかはわかりませんが、扇風機はわかる。 果たして私は、これから「整える」ようになるのでしょうか。

良い問いは、登りやすい階段のように

先日、ファシリテーション講座で講師を務めました。 その中で、「良い問いとは何か」という話をしました。 限られた時間だったこともあり、「どんな問いが良いか」についてはお伝えできましたが、「良い問いにどうやってたどり着くのか」までは話せませんでした。 そんなことを考えていた矢先、よく聴いているポッドキャストで印象的な話がありました。 スピーカーは講演経験も豊富な方。 講演後の質疑応答について、「準備された本質的な質問ばかりだと、実は話しづらい」という趣旨の話をされていました。 なるほど、と思いました。 質問する側としては、せっかくの機会だから良い質問をしたい。できれば、相手の本質に迫るようなことを聞きたい。 でも、いきなり本質的なことを聞かれても、話す側は答えづらいのかもしれません。 経験上、「あの話、面白かったです」という、質問ですらないような感想から会話が始まり、思いがけず深いエピソードを聞けたこともあります。 「あの話、面白かったです」 「そうですか。実はあれにはこんな経緯があって……」 「そうだったんですね。その時はどう考えていたんですか?」 そんなふうに、少しずつ話が深くなっていく。 良い問いを一発で投げることよりも、そこまで相手が無理なくたどり着けることの方が大切なのかもしれません。 そんなことを考えていたら、不意に「階段」が思い浮かびました。 階段には、「蹴上(けあげ)」と「踏面(ふみづら)」があります。 蹴上は、一段の高さ。踏面は、足を乗せる部分の奥行きです。 問いも、これと同じように考えられるのではないでしょうか。 蹴上は、問いの答えやすさ。 一段が高すぎる階段が登りづらいように、いきなり抽象的で本質的な問いを投げられると、答える側にも大きな負荷がかかります。 まずは簡単に答えられる問いから始める。そこから、少しずつ深い問いへ進んでいく。 問いにも、登りやすい高さがあるのだと思います。 そして踏面は、話を広げられる奥行き。 踏面が狭すぎれば、足を置く場所がない。問いも同じで、「はい」「いいえ」で終わるような問いばかりでは、なかなか話が広がりません。 一方で、広すぎる問いを投げれば、今度はどこに足を置けばいいのかわからなくなる。 相手が安心して立ち止まり、少し考え、そこから次へ進めるくらいの奥行きが必要です。 そして階段は、一段だけではありません。 蹴上...