先日、ファシリテーション講座で講師を務めました。
その中で、「良い問いとは何か」という話をしました。
限られた時間だったこともあり、「どんな問いが良いか」についてはお伝えできましたが、「良い問いにどうやってたどり着くのか」までは話せませんでした。
そんなことを考えていた矢先、よく聴いているポッドキャストで印象的な話がありました。
スピーカーは講演経験も豊富な方。
講演後の質疑応答について、「準備された本質的な質問ばかりだと、実は話しづらい」という趣旨の話をされていました。
なるほど、と思いました。
質問する側としては、せっかくの機会だから良い質問をしたい。できれば、相手の本質に迫るようなことを聞きたい。
でも、いきなり本質的なことを聞かれても、話す側は答えづらいのかもしれません。
経験上、「あの話、面白かったです」という、質問ですらないような感想から会話が始まり、思いがけず深いエピソードを聞けたこともあります。
「あの話、面白かったです」
「そうですか。実はあれにはこんな経緯があって……」
「そうだったんですね。その時はどう考えていたんですか?」
そんなふうに、少しずつ話が深くなっていく。
良い問いを一発で投げることよりも、そこまで相手が無理なくたどり着けることの方が大切なのかもしれません。
そんなことを考えていたら、不意に「階段」が思い浮かびました。
階段には、「蹴上(けあげ)」と「踏面(ふみづら)」があります。
蹴上は、一段の高さ。踏面は、足を乗せる部分の奥行きです。
問いも、これと同じように考えられるのではないでしょうか。
蹴上は、問いの答えやすさ。
一段が高すぎる階段が登りづらいように、いきなり抽象的で本質的な問いを投げられると、答える側にも大きな負荷がかかります。
まずは簡単に答えられる問いから始める。そこから、少しずつ深い問いへ進んでいく。
問いにも、登りやすい高さがあるのだと思います。
そして踏面は、話を広げられる奥行き。
踏面が狭すぎれば、足を置く場所がない。問いも同じで、「はい」「いいえ」で終わるような問いばかりでは、なかなか話が広がりません。
一方で、広すぎる問いを投げれば、今度はどこに足を置けばいいのかわからなくなる。
相手が安心して立ち止まり、少し考え、そこから次へ進めるくらいの奥行きが必要です。
そして階段は、一段だけではありません。
蹴上と踏面がある程度のリズムで続いているから、私たちは自然に上っていくことができます。
対話も同じなのだと思います。
答えやすい問いから始まり、その答えを受けて次の問いへ。また答えてもらい、もう一段深いところへ。
そうやって何段か上った先に、最初から聞きたかった「本質的な問い」がある。
良い問いとは、鋭い問いを一発で投げることではないのかもしれません。
良い問いは、登りやすい階段のようなもの。
相手が無理なく一段ずつ進み、気がついたら、自分でも思っていなかったところまで話している。
ファシリテーションで大切なのは、そんな階段をつくることなのではないか。
そんなことを考えました。
