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4月, 2019の投稿を表示しています

平成をふりかえって

本日4月30日は平成最後の日ですね。 元号が変わる事自体には大きな意味を見いだせていないのですが、何かの節目を祝おうとするムードは、なんとも日本人的で良いなぁと思っています。 平成って何してたっけ? 令和を迎える前に、平成をふりかえる。 なんてことも、節目だからこそできることかもなぁと思っています。 ということで、ここ数日で自身の平成をふりかえっていたので、そこで考えたことをつらつらと書きたいと思います。 そもそも、僕自身がいわゆる「昭和(61年)生まれ」なのですが、昭和の記憶は殆どなく、小学校〜中学校〜高校〜大学〜大学院〜就職〜起業〜をすべて平成で体験しています。 なので、「平成のふりかえり=ほぼ自分史」といっても過言ではないですね。笑 これまでの体験をふりかえるということは、自身のモチベーション(生きがいとか)を探ることにもつながると思うので、いくつか区切ってふりかえってみました。 誕生〜中学校 編 まずは生まれてから中学校まで。 島根県益田市という地方に生まれ、父は製材所を祖父から引き継ぎ、営んでいました。 ( 市村整材という屋号 もここから来てます。) 家庭内には厳格の祖父がいて、よく怒られていましたが、みんな慕っていました。 今でもまだ祖父の人徳を感じるときがあります。 この時期は、よく遊びに外へ出ていたなぁという思い出ばかり。 近所の裏山に登ったり、車庫でダンボールの秘密基地を作ったり、木材の端材でイスを作ったり、釣りに行ったり、、、 ちょっと変わった友だちもいて、誰かが夢中になっていることを一緒にやる楽しさやそれを許容してくれる場をつくることも好きだったなぁと思っています。 (ここは今も同じワクワクするポイント。) そして、この時期の事件としては、父の死があります。 会社を倒産させて、母方の祖父の会社に入り、慣れない環境にチャレンジしていた姿は今でも思い出せます。 結果、そのストレスで体を壊してしまったのですが、誰かのチャレンジが無情に終わるところは、見ててつらいし、なんとかしてあげたいと思ってしまいます。 こういう経験が、地域に伴走する今も変わらぬモチベーションになっているような気がします。 高校〜大学 編 次は、高校と大学。正直、黒歴史と言っても過言ではない。 詳述は控えますが、自...

棟方志功展に行ってきました

今日からゴールデンウィーク。10連休の初日です。 先日少し時間をつくって、鹿児島市立美術館で開催中の 「棟方志功展〜世界への序章 富山・福光時代〜」 に行ってきましたので、少し感想などを書こうかと。 日本の版画家・棟方志功が富山県福光町(現南砺市)に疎開していた頃の作品を中心に、世界へ飛躍した原点ともいわれる作品を多く展示している企画展でした。 社交的であること 予備知識ゼロで行ってきましたが、感想としては、なかなかによかったです。 (個人的には、展示会等で「よかった=得るものがあった」なのですが。笑) いくつか考えたことを以下にだらだらと書こうと思います。 まず、棟方志功についてですが、師と仰ぐ柳宗悦(民芸運動を起こした哲学者)から、自我を超えたところに美が宿る「他力の美」を学んだ作家だそうです。 そもそも芸術家は孤独なイメージを勝手に持っていたので、その他にも宗教人、文化人らと交流するなかで、宗教観や芸術観を深めていったという、棟方志功の社交的なエピソードは少し意外でした。 しかしよく考えると、そもそも版を作って印字するという版画自体、大量生産するなどの工業的な発想にも近く、工芸品を愛した柳との親交は確かに納得できるなぁと改めて思いました。 幅広い分野の方と交流をもって見聞を広めること・深めることは、自身につながる大事なことでもあるなと。 時代に受け入れられる作品 作品自体ですが、うまいかどうかの判断はつけれませんが、とても色彩豊かでバランス感覚が優れているなぁと感じました。 特に緑や青などの色使いがとても印象的で、疎開先の福光の自然から来ているものなのかな?とも思いました。 その人がいる環境からどういう発想をしてそうなったのか、想像するのは作品鑑賞の楽しみの一つかもですね。 そして、鑑賞を進めていくなかで面白いなと思ったのは、福光という山林に囲まれている地域にもかかわらず、版板がなかなか入手できなかったというエピソード。 戦後の復興時期においては、木材は都市部に送られ、なかなか手に入らなかったそうで、大きい作品が作れなかったとのこと。 目まぐるしく復興していく時代が浮かぶ一方で、棟方の作品はとてもおおらかで優しい印象を受けました。 なにか戦後復興するなかで、棟方のおおらかでのんびりとした作品が前を向いて復興...

目的と手段の話

年度末は終わったものの、なんだかんだでバタバタとしていて、ブログの更新ができていませんでした。反省。。。 分析癖をつくる 新元号「令和」の発表もありましたが、新年度は何かしら新しいことに挑戦したくなったりするのですが、私も他聞に漏れず新しいことをしようと思い、新しい取り組みを始めています。 やっていることとしては、そんなに大したことではないのですが、テレビニュースや新聞などから気になった記事をピックアップして、ノートにまとめて分析するということを日課にしたいなと思って、ぼちぼちやっています。 地域猫から学ぶ「目的と手段」 最近、拾った話題としては、「地域猫」。 ある団地で飼い主のいない猫をコミュニティで管理するという内容。 野良猫は、ゴミを漁ったりすること、糞尿の問題、繁殖活動の野放し等が地域で課題になっていますが、それを猫を追い払うとか、殺処分するなどで対処するわけではなく、地域コミュニティで定時定量の餌を与えてゴミを漁らなくてもいいようにさせたり、きちんと去勢手術をすることで無秩序な繁殖を抑制したりしているとのこと。 もっと言えば、地域で管理することで、猫を飼いたくても飼えない人がアニマルセラピー的に癒やされる副作用や高齢者の活躍の場(居場所の創出)にもなっているのではないかと思ったりもしました。 この問題で良いなぁと思ったのは、何が課題なのか、明確に把握していて、かつ解決手段が道徳的で、わかりやすく、win-winの関係をつくっている点。 目的と手段がうまくマッチングされているところに強く共感しました。 本当に大事なことは何か?誰が考えるべきか? まちづくりの現場に寄せて考えると、目的と手段の話につながるかなと思います。 いろんな地域に入ってよく聞くフレーズに 「空き店舗を開けるとにぎわうから開けるんだ」とか 「人口減少で空き家が増えてて大変だから改修して使うんだ」 といったことをよく聞きます。 なんとなく、文章として成り立っているようにみえるし、言われたままに聞こえるけれど、本当にそうなのか?と思うことは多々あります。 空き店舗と街のにぎわいの関係性は近いのか? にぎわいが戻るとあなたは幸せなのか? 空き家は何が問題なのか? 空き家が埋まるとどういいのか? 課題が何につながっているのか、コミュニ...