平成をふりかえって
本日4月30日は平成最後の日ですね。
元号が変わる事自体には大きな意味を見いだせていないのですが、何かの節目を祝おうとするムードは、なんとも日本人的で良いなぁと思っています。
なんてことも、節目だからこそできることかもなぁと思っています。
ということで、ここ数日で自身の平成をふりかえっていたので、そこで考えたことをつらつらと書きたいと思います。
そもそも、僕自身がいわゆる「昭和(61年)生まれ」なのですが、昭和の記憶は殆どなく、小学校〜中学校〜高校〜大学〜大学院〜就職〜起業〜をすべて平成で体験しています。
なので、「平成のふりかえり=ほぼ自分史」といっても過言ではないですね。笑
これまでの体験をふりかえるということは、自身のモチベーション(生きがいとか)を探ることにもつながると思うので、いくつか区切ってふりかえってみました。
島根県益田市という地方に生まれ、父は製材所を祖父から引き継ぎ、営んでいました。
(市村整材という屋号もここから来てます。)
家庭内には厳格の祖父がいて、よく怒られていましたが、みんな慕っていました。
今でもまだ祖父の人徳を感じるときがあります。
この時期は、よく遊びに外へ出ていたなぁという思い出ばかり。
近所の裏山に登ったり、車庫でダンボールの秘密基地を作ったり、木材の端材でイスを作ったり、釣りに行ったり、、、
ちょっと変わった友だちもいて、誰かが夢中になっていることを一緒にやる楽しさやそれを許容してくれる場をつくることも好きだったなぁと思っています。
(ここは今も同じワクワクするポイント。)
そして、この時期の事件としては、父の死があります。
会社を倒産させて、母方の祖父の会社に入り、慣れない環境にチャレンジしていた姿は今でも思い出せます。
結果、そのストレスで体を壊してしまったのですが、誰かのチャレンジが無情に終わるところは、見ててつらいし、なんとかしてあげたいと思ってしまいます。
こういう経験が、地域に伴走する今も変わらぬモチベーションになっているような気がします。
詳述は控えますが、自分の弱さが露呈してしまった時期かなと。
自身の欲求に対して能力がついてこず、そこにあがいていたと思います。
かといって、明確な目標や目的があったわけではなく、なんとなく日々を過ごしていました。
インプットとアウトプットの質が非常に悪かったと思います。
我は強いけど、意思が弱いみたいな、、、最低ですね。汗
あの頃、ご迷惑をかけた人には、本当に申し訳ないと思っています。
この時期から得られる教訓としては、
なんのためにやるのか?なんのために学ぶのか?それを明確にすること。
目指すところなく動くと無駄足を踏む、というか信頼をなくすということを身をもって味わった時期だと思います。
本当に自分でも辛かった時期でした。(どん底感)
自分の興味関心があることをひたすら探し、出会う人に多くのものをもらいました。
特に、コミュニティデザイナーの山崎亮さん(マルヤガーデンズのプロジェクト)、評論家の宇野常寛さん(著書:ゼロ年代の想像力)との出会いは大きかったと今でも思っています。
誰かの表現(活動とかも含む)が地域や社会とより良く関係をつくることで、その周辺に熱が伝わっていくことのパワーを感じさせていただいた様な気がします。
地域にヒト・モノ・コトがあって、それに意味づけすることの価値を学べたなぁと。
それ以外にもこの時期にはたくさんの方々と知り合うことができ、今も仕事を一緒にさせていただいていたりします。
それまで、人と関わることがあまり得意ではない(失礼な話、興味すらなかった)自分が、関わる人たちが「やってよかった」と思えるプロジェクトをつくることを心がけたのもこの時期の経験かなぁと思っています。
さて、元号が変わるタイミングでざざっと自身を振り返ってみました。
<起業〜 編>は、現在進行形だし、言えないこともあるので、また時間を少し置いてお伝えできればと思っています。
最新の情報なんかはこのブログでもアップしようと思っていますので、気が向いたら読んでいただければ幸いです。
最近読んだ前田裕二さんの著書「人生の勝算」に「自分がなにを幸せと定義し、どこにむかっていくのかという価値観の言語化(=人生のコンパス)」していくこと「原体験に紐づく大きな志」が重要だということが書いてあり、非常に共感を覚えました。
自分のこれからを考えるときに自分のコンパスがどこを示しているのか、見定めていくうえでも、こういったふりかえりをやる意味があるなぁと思っています。
平成から令和へ。
次はどんな年になるだろうか。
そして、自分はどんな舵取りをしたいか。
そんなことを考えた平成最後の日でした。
令和が多幸感ある時代であることを切に願って、今日も普段どおりお仕事したいと思います。
元号が変わる事自体には大きな意味を見いだせていないのですが、何かの節目を祝おうとするムードは、なんとも日本人的で良いなぁと思っています。
平成って何してたっけ?
令和を迎える前に、平成をふりかえる。なんてことも、節目だからこそできることかもなぁと思っています。
ということで、ここ数日で自身の平成をふりかえっていたので、そこで考えたことをつらつらと書きたいと思います。
そもそも、僕自身がいわゆる「昭和(61年)生まれ」なのですが、昭和の記憶は殆どなく、小学校〜中学校〜高校〜大学〜大学院〜就職〜起業〜をすべて平成で体験しています。
なので、「平成のふりかえり=ほぼ自分史」といっても過言ではないですね。笑
これまでの体験をふりかえるということは、自身のモチベーション(生きがいとか)を探ることにもつながると思うので、いくつか区切ってふりかえってみました。
誕生〜中学校 編
まずは生まれてから中学校まで。島根県益田市という地方に生まれ、父は製材所を祖父から引き継ぎ、営んでいました。
(市村整材という屋号もここから来てます。)
家庭内には厳格の祖父がいて、よく怒られていましたが、みんな慕っていました。
今でもまだ祖父の人徳を感じるときがあります。
この時期は、よく遊びに外へ出ていたなぁという思い出ばかり。
近所の裏山に登ったり、車庫でダンボールの秘密基地を作ったり、木材の端材でイスを作ったり、釣りに行ったり、、、
ちょっと変わった友だちもいて、誰かが夢中になっていることを一緒にやる楽しさやそれを許容してくれる場をつくることも好きだったなぁと思っています。
(ここは今も同じワクワクするポイント。)
そして、この時期の事件としては、父の死があります。
会社を倒産させて、母方の祖父の会社に入り、慣れない環境にチャレンジしていた姿は今でも思い出せます。
結果、そのストレスで体を壊してしまったのですが、誰かのチャレンジが無情に終わるところは、見ててつらいし、なんとかしてあげたいと思ってしまいます。
こういう経験が、地域に伴走する今も変わらぬモチベーションになっているような気がします。
高校〜大学 編
次は、高校と大学。正直、黒歴史と言っても過言ではない。詳述は控えますが、自分の弱さが露呈してしまった時期かなと。
自身の欲求に対して能力がついてこず、そこにあがいていたと思います。
かといって、明確な目標や目的があったわけではなく、なんとなく日々を過ごしていました。
インプットとアウトプットの質が非常に悪かったと思います。
我は強いけど、意思が弱いみたいな、、、最低ですね。汗
あの頃、ご迷惑をかけた人には、本当に申し訳ないと思っています。
この時期から得られる教訓としては、
なんのためにやるのか?なんのために学ぶのか?それを明確にすること。
目指すところなく動くと無駄足を踏む、というか信頼をなくすということを身をもって味わった時期だと思います。
本当に自分でも辛かった時期でした。(どん底感)
大学院〜会社員 編
黒歴史後のゼロスタートの時期。自分の興味関心があることをひたすら探し、出会う人に多くのものをもらいました。
特に、コミュニティデザイナーの山崎亮さん(マルヤガーデンズのプロジェクト)、評論家の宇野常寛さん(著書:ゼロ年代の想像力)との出会いは大きかったと今でも思っています。
誰かの表現(活動とかも含む)が地域や社会とより良く関係をつくることで、その周辺に熱が伝わっていくことのパワーを感じさせていただいた様な気がします。
地域にヒト・モノ・コトがあって、それに意味づけすることの価値を学べたなぁと。
それ以外にもこの時期にはたくさんの方々と知り合うことができ、今も仕事を一緒にさせていただいていたりします。
それまで、人と関わることがあまり得意ではない(失礼な話、興味すらなかった)自分が、関わる人たちが「やってよかった」と思えるプロジェクトをつくることを心がけたのもこの時期の経験かなぁと思っています。
さて、元号が変わるタイミングでざざっと自身を振り返ってみました。
<起業〜 編>は、現在進行形だし、言えないこともあるので、また時間を少し置いてお伝えできればと思っています。
最新の情報なんかはこのブログでもアップしようと思っていますので、気が向いたら読んでいただければ幸いです。
振り返る意味
平成のふりかえり、なんとなくやってみましたが、色々と思い返すことも多くてよかったです。最近読んだ前田裕二さんの著書「人生の勝算」に「自分がなにを幸せと定義し、どこにむかっていくのかという価値観の言語化(=人生のコンパス)」していくこと「原体験に紐づく大きな志」が重要だということが書いてあり、非常に共感を覚えました。
自分のこれからを考えるときに自分のコンパスがどこを示しているのか、見定めていくうえでも、こういったふりかえりをやる意味があるなぁと思っています。
平成から令和へ。
次はどんな年になるだろうか。
そして、自分はどんな舵取りをしたいか。
そんなことを考えた平成最後の日でした。
令和が多幸感ある時代であることを切に願って、今日も普段どおりお仕事したいと思います。


